不思議な安心感
みなさまごきげんよう。 仏教ねえさんだよ。
仏教ねえさんには、幸いなことに師匠がいます。
どのような師匠かというと、わかりやすく言えば、メンターになると思います。ただ、いつでもどこでもくっついているわけではありません。
年に一回会えればいい方で、年に数回メールするくらいです。自分の近況をほんの少し話し、簡単に今の自分の気持ちを話すのです。
すると、師匠はすぐ察してくれて、的確な言葉を授けてくれます。本当に不思議なんですけど、ほんの少しの情報量だけで、わたしの思考がわかってしまうのです。どうしてなのかまったくわかりません。
先日、師匠から連絡をいただいて、他の方も含めて会うことになりました。
そこで、近況を軽く説明したのです。
うっかり取締役という地位に就いてしまっていますが、これまでと何かが変わったわけではありません。なんの権限も持たされていないので、取締役としてすることもありません。
転職もしたくて、たくさん応募したけどダメだったんです。
だけど、一番やりたいことは、やっぱり何度考えても何かを書くこと。
これくらいの情報量です。もしかしたら、話し方とかわたしの出す雰囲気も含めて観察しているのかもしれません。
ふむふむ。仕事は友達とか知り合いのツテを探った方がいいかもね。何かを書くなら、これを読んでみたら? と本をおすすめしてくれました。もちろんそこに至るまでには、他の言葉もかけてくれています。
たったそれだけ? と言われればそれまでかもしれませんが、わたしには師匠のちょっとした言葉が大きな安心感につながります。やっぱりそうなんだ。どこかふんわりしていたものに、芯が通る感じといえば、わかってもらえるのかしら。
おそらく、師匠に信頼を寄せているわたしの気持ちが大いに関係しているとは思います。いつも、ほんの少しだけ、支えてくれる距離感に安心するのです。
すべてを言わなくても、ああ、そういうことね。オッケー。って理解してくれているということがわかるのです。本当に不思議です。師匠が勝手に条件付けして決めつけているオッケーじゃなくて、わたしのことを受け入れてくれるオッケーなんです。それをわざわざ言葉に変換しなくても、理解できるのです。あれは一体なんなのでしょうねぇ。不思議です。
わたしにとって、師匠は変に気取らず、構えず、自然にいられる数少ない人です。
誰かにとって、わたしも安心感を与えることができているのかなぁ。
師匠に追いつくことはできなくても、距離を保ちながらでいいから、後ろをしっかりついていきたいな。
なんてことを考えています。