お月様に帰りました。
わたしの大切な息子である遼太郎さんが、月へ帰りました。
14歳と2ヶ月。人間に換算すると90歳。老衰です。
とってもとっても長生きをしてくれました。
うさぎの平均寿命は8〜10歳と言われているようです。それを思うと本当に長く生きてくれて、わたしを支え続けてくれました。
遼太郎さんをお迎えしたのは、大阪で一人暮らしを始めてから半年を過ぎた頃だったかと思います。どうしても淋しくて、犬や猫は無理だけど、うさぎちゃんなら飼いやすいと思い立ったことがきっかけです。
うさき専門店を探して、そこからお迎えしました。
小さな頃はなかなか神経質な子で、お腹をくだしたり、顔に大きなできものができてしまったりと、かなり心配しました。
ところが、いつの間にか体も丈夫になり、心もタフネスでふてぶてしくなり、ツンデレ炸裂のイケメンうさちゃんに変貌しました。
おやつが欲しい時は、わたしの足を鼻でツンツンしてねだることがとても上手でした。わたしのお腹に登って、くつろいでくれることもありました。
ところがこちらがもふもふしたい時には、なかなかさせてくれず、イケズな面もありました。そんなところも愛おしい。
今年に入って、少しでも少しずつ弱っていきました。病院に連れて行きましたが、処置することはできません。もう高齢過ぎるからです。とにかく痛くないように。苦しくないように。と願うだけでした。
月に帰る前日まで、わたしのところに寄ってきて、おやつをねだっていた姿が忘れられません。
月に帰る日、母から「りょうちゃんが動いてない」と連絡が入り、慌てて帰宅しました。
触れるとまだ温かくて、動いていないのが不思議なくらいでした。少しずつ冷たくなっていく遼太郎さんを見守りながら、ただ泣くことしかできません。
なんとか火葬の手配をし、翌日にお骨と灰にしていただきました。骨壷が手元にあってもいまだに信じられない気持ちです。まだ、わたしの足をツンツンしてくるんじゃないか、おやつを欲しがってるんじゃないか。そんなことを考えてしまいます。
遼太郎さんが一緒にいてくれることで、わたしの大阪での生活が豊かになったのは間違いありません。
今年に入ってから、今いる会社を辞めることをやめ、大阪に永住することを決め、マンション購入を決断しました。
もう迷ってないね、大丈夫だね。って思ってくれたのかな。とも思います。
遼太郎さんとの日々は、迷ってばかりでした。名古屋に帰りたい、こんな社畜のような生活で良いわけがない、仕事ばかりでなにが楽しいのか。
こんなことばかり考えていました。
遼太郎さんに相談したことは一度もありません。遼太郎さんにはネガティブな言葉をかけず、かわいいねぇかわいいねぇとばかり声をかけていました。だけど、感じ取っていたのかなと今なら思えます。
本当に遼太郎さんはわたしを支えてくれました。今はまだ淋しさしかないし、涙が自然に出てきてしまうけれど、お月様のところで、わたしの今後を楽しみにしてくれているといいなぁと思います。
14年以上、一緒に暮らしてくれて、ありがとう。
わたしの息子になってくれて、本当にありがとう。
また、会おうね。
その時は大好きなくこの実、たくさん持ってくよ。