仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め

仏教について、少しずつお勉強したことを記録していこうと思って始めたブログです。ひよっこコラムニストです。

小説から拒否されるのは、読解力がないからなのか否か。

ゼロ・ハチ・ゼロ・ナナを読んだ。

初めて辻村さんの小説を読んだ。

序盤がとても読みにくくて、信じられなかった。小説ってこんなんでよかったの? と思えて仕方なかった。

 

まず、はじめにお断りしておくが、決してこの小説を貶めたいわけではない。否定的な言葉を書いてしまうが、個人的な感想であるため、ご容赦願う。

 

 

わたしの読書人生30年余りの中で、一番驚いた。序盤は誰が何を言っているのかもわからなかったし、情景がとんとわからなくて困惑してしまった。文章もこんな表現で正解なのか? と疑問に思いつつも読み進め、中盤以降はなんとか筋は理解できたし、最後のシーンは涙が出た。

だからといって、この小説は面白かった! とは言えない。なぜこの作品が直木賞候補になったのか? と否定的に不思議だった。

わたしの感覚がおかしいのかと、レビューサイトをいくつか読みまくったが、「面白かった」の声が多い。

たしかに、ストーリーは面白かった。女の子グループ特有のマウントの取り合い、アラサー女性特有の悩み。幼馴染が母親を殺して逃げており、探す様。ストーリーはよかったのだ。ただ、導入部分から違和感があり、スッと小説の中に入れてもらえなかった。こんな小説を読んだのは初めてで、戸惑った。

わたしの感覚がおかしいらしい、読解力がなかったんだ、わたしも感が鈍ったものだと、一旦、結論付けた。

 

読了後、他の作家の小説を読み始めたが、1ページ目から小説の世界に入れた。わたしを拒否することはなかった。あまりにスムーズに世界に飛び込めた。

ゼロナナゼロハチが頭の中で蘇った。

あの小説は、なぜわたしを拒否したのだろうと。

筆力はとてもレベルが高いのは理解できた。話がよくわからなくても心を揺さぶり、涙を流させたのだから。

考え始めると、読者が作品にすり寄らなければならない。それをしてこそ、この小説は面白いのだ、と小説から言われているような気がしてきた。

 

小説ってそういうものでいいのか? 読みにくくていいものなのか? それで作家は納得してこの作品を世に出しているのか? 納得できなくて、「直木賞 選評」 とネットで検索し、当時の選考委員の方々の意見に辿り着くことができた。

そこで、やっとわたしが感じた違和感と同じようなことを言っている選考委員が存在していた。

 

「たいそう読みにくかった。語り手あるいは作中人物の立ち位置が明示されない箇所があり、環境の描写も省略されているとあっては、想像でおぎなってゆくのに時間がかかる。事象の描写がやや遅れてやってくる。その悪癖をなおしてもらいたい。」

https://prizesworld.com/naoki/sp/senpyo/senpyo142.htm#authorJ142SJ

 

完全に同意である。

 

この作品は、発刊されてから12年の月日が流れている。当時29歳の作家は、今は41歳だ。ベストセラーも叩き出している。すでにベテランで、大先生である。年齢を言い訳にはしたくはないが、若かったからかもしれない。ひょっとすると書き方の挑戦のようなものをしていたのかもとも思えてきた。

ただ、この小説がそれなりに評価されていることに驚きを隠せない。いろんな小説を読んできたが、ここまで小説とはなにか。と考えさせられたのは初めてだ。

決して、ひどい小説だと罵りたいわけではない。ただ、小説から拒否されたのは初めてで、驚いた。この小説が世間からはあらかた評価されていることにも驚いた。理解できないあなたが悪いとでも言われているような気がして驚いた。

強い衝撃という意味では、すごい小説と言っても過言ではない。

他の作品はこうではないかもしれない。ただ、違う作品を読んでみる勇気は、まだない。

 

小説とは、と考えさせられる小説だった。

 

 

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (講談社文庫)

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (講談社文庫)