仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め

仏教について、少しずつお勉強したことを記録していこうと思って始めたブログです。ひよっこコラムニストです。

いつになく緊張

長距離バスから降車。外は雨。

 

路線バスに乗るまでの空き時間に、常連さんたちの楽しげな会話で賑やかな喫茶店で一服しながらしたためておきたいことを。

 

平成29年の前半があと10時間くらいで終わりを迎え、いよいよ後半が始まります。特に意図していたわけではないけれど、今年後半の始まりにふさわしく、坐ることからスタートすることになります。

 

普段何があってもさほど緊張しないわたしですが、いつになくソワソワして緊張しています。

何に緊張しているかというと、山道をひとりで50分くらい歩くこと。

両親の実家が愛知県の山深いところにあるのためか、海よりも山が好きなわたし。幼い頃から山道のクネクネした坂道が大好きで、川を渡す寂れた橋に遭遇するとウキウキします。

それでも、やっぱり、知らない山道をひとりで歩くのは心細い……。イノシシやクマに出会ったら、どうやって戦えばいいのか。死んだふり?笑 と半ば冗談半ば真剣に考えています。

一番怖いのは人間。人間が襲ってきて、戦うとなると非力なわたしには武器が必要。今日は雨。傘がある!ツイてる! こんな妄想まで繰り広げられております。とほほ

 

これも修行の一貫。頑張ります。

 

 

一方

長距離バスに揺られながら、Twitterを眺めていたら、やんわりチェックしている石井ゆかりさんの星占いが流れてきました。

 

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Twitterから

 

わたしは蠍座

蠍座は特に用事のない待ち合わせに、ぎゅっと「真の用事」が詰まっているかも。

 

用事のない待ち合わせが一体何を指すのかわからない。けれども、真の用事が詰まっているらしいので、これから向かう場所に何かしらあるのかしらん。

占いって今の自分の状況と照らし合わせてみて、何か引っかかりがある時だけなんとなしに意識してみると、「ああ、こういうことでしたか」と思うことがあるから不思議なものです。

 

果たして、どのような真の用事を見つけるのでしょうか。イノシシとの用事のない待ち合わせで、真の用事が命がけの格闘でないことを祈るばかりです。笑

ちょっとドキドキします。 

 

おしまい。

今週末からお山にこもります。

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人生で初めて、接心をすることに

某お寺さんのご住職のご厚意で、7月1日から5日まで接心してきます。

本来なら修行者のみ。

なんちゃって仏教徒であるわたしなんかが行ってもいいのかしらんと思いながらも思い切って飛び込むことにしました。

他の修行者さんに迷惑をかけないようにしなくちゃ、

本当にずっと坐っていられるのかしら、

眠くならないようにしなきゃ、とかいろいろ考えてしまいます。

 

普段宵っ張りの朝寝坊なので、朝4時から坐るとなると、坐っている間にこっくりこっくり船を漕ぐのは必須。

月曜からせめて6時に起きようと試みるも、見事撃沈し続けています。これでは坐りにいくというよりも寝にいくようなものになってしまう。とほほ

明日こそ6時に起きます。(宣言)

 

とは言っても一番ドキドキするのが、ごはんの時間。

食事にかける時間が半端なく早いから、普段ゆっくり時間をかけて食べているわたしとしては、とても緊張します。飲み込むようにしないと早さについていけないので、どうなることかと今から心配です。前回うかがったときは、かぼちゃがのどにつまって苦しかったの。とほほ 食べることってこんなにむずかしいのかと身にしみました。

 

しかしそんなことは些末なこと。

目的はとにかく坐ること。

以前一泊坐禅会に参加したときに感じた、「ただ坐る」ことの良さはなんとなく理解しているつもり。

けれども、一日中、それもまるっと4日間は初めて。

想像できない感情がわき出てくるんじゃないかしらん。

楽しみでもあり、恐怖でもあります。

 

お風呂にも入らず、誰とも口をきかない4日間。

大したことなかったなと思うのか、きつかったと思うのか、面白かったと思うのか。

怒りや他人に対する過剰な期待とか、そういった自分の中で消化しきれない感情が少しでも和らいで、普段の生活を穏やかに過ごす、なんらかのヒントが得られるといいなぁという、淡い期待を抱いています。

とはいえ、こんな思いも挫かれたりするのでしょうか。

 

あぁ、怖い。

 

 

 

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ブログのタイトルを変更しました

はてなブログに引っ越してきて、そろそろ2年。引越し前のブログの期間を考えると、4年くらいこのタイトルを使ってきました。

仏教のお勉強の記録をしていこうと始めたブログですが、そこそこ雑記がまざっています。「仏教ねえさんの仏教お勉強ブログ」は深く考えずにつけたタイトル。絶対に入れたかったのが 「仏教ねえさん」という言葉だけ。

元来大雑把なわりにへんなところで神経質なわたし。

なぜ「仏教」だけを書こうとしないのか。

仏教の勉強を書こうとしているのに違うことを書いているのっておかしい。

と自分で考え込むこともしばしば。

そうしてやっと「そうだ!ブログのタイトルを変更すればいいじゃん!」と思い至ったわけです。おそい。ということで、ブログのタイトルを変更することにしました。

 

ゆずれないポイントはたったのふたつ。

ひとつ、「仏教ねえさんの」は絶対はずさない。

ひとつ、少し文学チックな雰囲気を醸しだしたい。

 

6月7日頃からちまちまと目を引く言葉探しが始まりました。辞典を眺めたり、好きな作家のタイトルを調べたり、所蔵本から手当たり次第に目次を眺めたり。

目に付いた言葉をどんどん書き出す。

 

ひと通り思い悩んだ結果、

仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め」に決めました。

灯点し頃とは、日が暮れて、明かりを点しはじめる頃合を意味する言葉。

骨休めとは、休憩。休息。

 

 

「ひともしころ」という言葉を読んだとき、こんな情景が目に浮かんだのです。

季節は秋。休日の夕方、少し外出して家に戻ってきたときの誰もいない部屋。

部屋はほの暗いけど外はまだ少し明るい。

明かりをつけようかな、いやまだいいかなぁ、いややっぱりつけようかな、いやまだかなと、スイッチの前でほんの一瞬の間、立ち尽くして迷い、考えているわたしがいる。

 

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[PHOTO STOCKER]高解像度のフリー写真

 

 

 

日常生活の中で電気を点す、点さないという行動はとてもとても些細なこと。点けたければ点ければいいし、点けたくなければ点けなくていい。どっちでもいい。

これは、思考することにも似ている。思考したければ思考すればいいし、思考したくなければ思考しなくていい。どっちでもいい。

けれど、灯点し頃が少しでも過ぎれば、確実に電気を点ける。つまり思考をする。

この「灯点し頃の骨休め」は、ほんの一瞬でも、ほんのつかの間でも、迷い考えて、次にじっくり考える前にかるくひと休みしようじゃないか。というニュアンスを含められるんじゃないかなと思ったのです。

しかも仏教の勉強や雑記、本の感想でもなんでも書いてもよいタイトル。よかったね!

 

ということで。

仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め」をどうぞご贔屓に。

 

仏教ねえさんより。

 

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最近

文章力養成講座に通っています。

すぐに文章力がつくわけではないし、こんなもんなんかなぁという講座全10回。

 

文章を書くプロに教えていただいているので、学びは多いけれど、

ふんわりとつまらなさを感じていたりします。

自分が求めていた講座ではなかったのかもしれません。

痛恨の選択ミス。とほほ。

 

書けなくなる、そしてはたと気づいた

ついくせで考えすぎてしまう傾向にあるわたし。

最近、文章を書くことができなくなっていました。

A4用紙に書きたいことをまとめて書きましょう。

といわれて、いざ実行しようとA4用紙を前にし書こうとすると、

何を書きたかったのか、わからなくなってしまって、結局まとまらず。

 

結局、新聞のような記事やお店の紹介の記事を書きたいわけじゃなくて、

正しい日本語で、自分の思うことを、ただ自由に書きたいんだな。

ということがはっきりしました。

 

ある程度の文章構成は必要だから、学んだ要素は組み入れて、

あとは自由に書けばいいんだ!

と、やっと自分の中で学んだ要素を消化してきた感じ。

おかげで、今、書くことができています。

 

かといって、構成が完璧かと言われればそうでもないけれど、

少ない人でも読んでくれている人がいるこのブログに

もう少しおもしろみのある文章で、自分の言葉で書きたいなぁ。

 

 

言葉っておもしろい、と楽しくなった

そこで。

言葉はとても多種多様で、日本語っておもしろいなと思った本をご紹介します。

 

日本語には、同じような意味のある単語が多いですよね。

たとえば、「夜」。

同じ夜でも、真夜中・深更・夜更け・宵・宵の口などなど。

時間帯によって、同じ「夜」を表現できる。

これはちょっとしたニュアンス、つまり語感によって

微細な差異を表現できるということ。

そして、日本人はこの差異がわかるのだ。すごい。

 

この本を読んで、思いついた言葉をそのまま使うのではなく、

もっと見合う表現の単語があるんじゃないかと考えるようになった。

 

そして、『語感の辞典』(岩波書店・中村明著)を購入。

 

人生は学びの連続

文章力養成講座自体に、おもしろみが感じられなくても、

言葉に対する向き合い方や接し方を、間接的に勉強させてもらっている。

 

結論、遠回りしているようでも、学びに無駄はないということなのでしょう。

 

おしまい。

ネルケ無方師による「私の理想の生き方と死に方」講演へいってきた。

昨年の7月だったか、安泰寺の夏合宿以来の無方さん。

朝日カルチャーセンターには年1回は講座をしにいらっしゃるよう。

 

今回は、「生き方と死に方」についてのご講義でした。

無方さんならではの「キリスト教仏教の比較」でお話してくださったので、

キリスト教の死生観も知ることができました。

 

 

お話を聴いて、思ったことや疑問に思ったことを記録しておきます。

 

わたしは、「死」についてはほぼ毎日考えます。

「今日死ぬかもしれない」

「明日死ぬかもしれないから今日を一所懸命生きよう」

とかそういう考えではなく、ただ漠然と「死」を思うのです。

 

一緒に暮らしているうさぎさんが死んじゃったら悲しいよな。

家族が死んじゃったらわたしはどう行動するんだろうか。

もしこのマンションから飛び降りたら、ぐちゃぐちゃになるんだろうな。

 

とかそんな感じ。

……大丈夫ですか? と思われるかもしれませんが、

わたしにとって通常運転です。特段異常ではないです。

 

会社では「もしわたしが交通事故で死んだら、君たちはどうするんだい?」

と言って、もっと責任を持てと叱咤激励することはありますが、

これも「死」を思う一環かもしれない。

 

死後の世界 

死後の世界があるのかないのかと問われれば、わたしの答えは「ない」。

死んだあとのことまで心配する必要はない。

今の世界のことで精一杯なのに、死後の世界のことまで心配する暇はないし、

死んだら死んだ時に考えればいいと思っています。

もし、タマシイというものがあり、思考することができる場合ですが。

 

釈迦は、死んだあとのことについては言及していません。

死んだあとのことは釈迦も知らないので、保留している。

ここで大事なことは、「死後は問題ではない」ということ。

「今、ここ」が問題。

 

輪廻転生があるとしたら、またこの世に違う姿でやってくることになります。

「来世はめっちゃいい人生が送れるといいなー」と思っていても、

現在をよく人生を送っていない人が、来世もめっちゃいい人生が送れるはずがない。

だから、今を生きろ。

 

釈迦は涅槃にいる。

死んだら消えて無くなることが涅槃。ろうそくの灯がフッと消えるように。

その時にふと思いついたのが、落語の「死神」というお話。

 

kotodama.xn--9oq386cb2a.com

 

お気に入りのマンガでも物語の中に組み込まれています。

発売日 : 2013-06-07

寿命がろうそくの火。火が消えてしまえば寿命は尽きる 。

 

そんなことを考えていたら、ふと新たな考えが。

 

輪廻転生を信じることは、「生」に執着していることにならないか?

「また生まれ変わったら」という言葉には、「生」への執着があるような気がしてきたのです。

「生きたい」という願望は当たり前です。

「死にたくない」という願望もおそらく当たり前です。

次があると思いたくなるのも理解できますが、次があるのかは誰もわからない。

だけど、「生まれ変わり」という言葉があるということは、

日本文化において、輪廻転生という現象がある、と

ある程度信じられているということでしょう。

これが執着にあたるのか。

ここではわたしにとっての答えは見つかりませんでしたが、引き続き考えていきたいテーマです。

 

その他にももちろん、いろいろなお話をしてくださいました。

午後からの坐禅指導にも参加し、経行も久方ぶりに行いました。

 

少しお話もさせていただいたので、最近の鬱々としていた気持ちが

晴れ晴れとした気持ちになりました。

 

また安泰寺に行くことにしているので、日々の生活を淡々と

日々修行だと思いながら、なんとか生き抜こうと思います。

 

 

なんだかまとまりのない文章になってしまった。

気にしない。

 

 

今日入手しました。 

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