お誕生日を迎えました。
本日、2回めの成人式プラス3つの誕生日を迎えました。
誕生日休暇をいただいておりましたが、仕事がはいっていたので、数時間出勤してきました。どうなることかと思っていた事案だったのですが、ひとまずは終了。これからの対応をどうしていくかが課題です。それはともかく。
11月から数ヶ月は猛烈に働かなくてはいけない季節に突入します。
そのため、23〜25日に有給取得し、和歌山の太地町までファスティングの旅へ出かけていました。
とにかくのんびり過ごしたいということが一番の目的です。まず、内臓から体をゆっくり休めることで、気分転換になるような気がしていました。
ファステイングの効果が出ているのかは、結局よくわからなかったのが残念。たった2日では目立った効果はわたしにはなかったようです。
普段、食事の量は多くないし、毎食3食を食べていないし、休みの日はだらだらして夕方に1食で済ましてしまうことがザラな怠惰な食生活です。しかたない。そうか、普段からファスティングをしているのかもしれないと思い始める。
宿泊客がわたしを含めて2名、女性はわたしだけという贅沢な空間を享受していました。大浴場は独り占めでしたし、ホテル内はどこにいても、ひとり。最高。
近所を散歩するにも、人もおらず。なんとも静かに過ごすことができました。
本を読んだり、お昼寝をしたり、散歩をしたりの繰り返し。贅沢。
今度は、ファスティングではなく、ゆっくり観光に来てみたい町でした。今回は特急くろしおで向かったのですが、次回は車で行きたい。
血管年齢と自律神経のチェックができるホテルだったから、トライ。
血管年齢は、マイナス7歳。珍しいようで驚かれました。血管年齢はほとんどの方は実年齢をオーバーしているケースが多いそうです。
自律神経は、肉体的疲労度は75%でよくなく、精神的疲労度は−5%で良いほう。わたしとしては、精神的疲労度のほうが高いんじゃないかと思っていましたが、思いの外、安らかに過ごしているようです。肉体的疲労は実感していて、疲れているから旅に出たわけです。思ったとおりの結果。
以下、ファスティングのごはんたち。
到着日の夜。ファスティング準備食
翌朝。朝食。
昼食。
夕食。
最終日の朝食。プレ回復食。
昼食。回復食。
近くに灯台がありました。
この広場で読書しました。至福。
クジラ推し。
和歌山の海。
2020年には、クジラとイルカを入江で戯れるエリアができるそうです。
その頃に行きたいな。
この一年が、よい一年になりますように。
台風21号来襲からひどく体がしんどかったが復活した
9月4日の台風21号がわが街を襲ってから、なんだか体調がすぐれない。会社には来ているものの、必要最低限のことをするだけにし、誰にとがめられるわけでもなし、会社でひとりボーっとすることが多い日々を過ごしておりました。
低気圧が影響しているのかもと思いついた。
台風が近づいているときに、新幹線でトンネルに入ったときにある、耳の「ポーン」があった。よっぽどすごい気圧の変化がある台風がくるようね。と、内心びくびくしていた。台風が到着したころには耳の「ポーン」はなくなっており、台風が去っていったころには耳の「ポーン」が再びありました。気圧すごいな、おい。
台風以降、あいにくの空模様が続いていた。そのせいか、腰はだるいし、気持ちもしずんだまま。2日連続でマッサージをうけてみたものの、翌日の夕方にはぐったり。普段はシャワーで済ませるところを湯船につかってみたり、いつもなら2時近くまで起きてダラダラ過ごすけれど23時には就寝したり。にもかかわらず、疲れはいっこうに取れず。
疲れた体のまま、8日の土曜はハードスケジュール。午前中は仕事でイベントを開催し、午後からは、大阪から豊田までB’zのライブへ出かけるという、お疲れの体に鞭打ちながらの小旅行。
ライブはサイコーだったのですけれど、さすがにくったり。ホテルに戻ってから寝支度を整え、ばたんきゅー。翌朝9時には起きようと思っていたのに、9時半に起きてしまい、チェックアウトぎりぎりというありさま。
名古屋にある、父と愛犬のお墓参りをして、早々に帰途に着いたものの、新大阪へ行きたいのに、なぜか東京方面のホームにいたり、やっと新幹線に乗って座席に着いたら、12号車の8Cなのに、12号車の12Cに座っていたり。
「今日はあかん。疲れとる」
そんなこんなの、ほうほうのていで(おおげさ)、大阪の自宅へ帰ってきました。そして、お風呂に入ってからまたマッサージへ向かう。「腰、めっちゃ硬いですね」「でしょー。最近ずっとこんなんなの」という会話をし、いつもお世話になっているマッサージの兄さんへ、名古屋土産のういろうを渡そうとしたんだけど、なぜか手渡しせず、机にバチン!と置いてしまった。
もう、とりあえず、疲れてるんだな。
としか思えない行動。とりあえず渡すというミッションだけは完了したのだ。それでよしとしよう。あの兄さん、優しい(と思う)から大丈夫だ。それに甘えるのだ。そうなのだ、わたしはとにかく疲れておるのだよ。許せ、兄さん。
というとってもお疲れなわたくし。
やっと昨日から、いつもの調子を取り戻しました。こんなに心身疲労を感じたのは人生初。
体力つけるにはどうしたらいいんだろう。やっぱり運動しかないのだろうか。肩を脱臼してから、肩の回復のための運動と合わせてスクワットを始めているのだが、それだけでなんとかならないだろうか。なるわけないよね。
司馬遼太郎記念館に赴く
連日暑い日が続いておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
今朝は夢見が悪く、いつもならぐっすり眠っている朝8時に目覚め、それから二度寝もできず。
ならばと、お盆休みも終盤を迎え、特に何するでもない日々を過ごしておりましたが、お盆休みらしいことをしよう。と思い立ち。
前から行ってみたかった、
司馬遼太郎記念館 へ。
司馬さんが執筆していたお部屋やそのおびただしい数の蔵書に圧倒され、「わたしもこんな風に本に囲まれて過ごしたいものよ」と壁一面の本棚に対し、羨望の眼差しを向けたのであります。
実は、司馬さんの著書は播磨灘物語しか読んだことがない。そして、人斬り以蔵を積読している有様。さほど司馬ファンではないことがわかってしまうけれども、坂の上の雲や竜馬がゆくの生原稿を眺められたのは、至福のひとときでありました。これをきっかけに坂の上の雲と竜馬がゆくに挑戦しよう。
司馬さんは、「すべての著書は22歳の自分への手紙だ」と語っておられました。22歳の時に終戦を迎え、なんと日本は愚かなのかと愕然とし、いつから日本は愚かになったのかを調べ始め、日本の歴史を紐解き始めたようです。その回答を若き日の自分へ向け、書き続けてきたのでしょう。自分へ向けて書き、自らの日本感を語る姿が、多くの読者を獲得した一つの要因になったのかなと、思いをはせたひとときでございました。
余談。
司馬さんの書く字はかわいらしいと思った。あとまったく気づいてなかったんだけど、うちのうさちゃんと同じ名前です。なんで気づかなかったんだろう。不思議。
この表紙の文字は司馬さんの字。
7月
今年の半分が終わりました。
なんだか落ち着かない半年で、イライラし通しの半年。
やりたいこともわからず、迷走続きの半年。
昨日、思い切って占いへ行ってきたら、ピタリと言い当てられて驚愕しました。
占いって侮れないなぁ。
10月も要注意みたい。また怪我にも注意みたい。心してかかるのと、どうしたいのかきちんと整理しておこう。
生きているといろんなことあるし、変な人もたくさんいて、どうしても関わっていかなくてはならない状況もある。それもまた勉強と思って、受け入れていこうという気持ちに少しずつなってきました。
人に会うことも億劫になって、申し込んでいた講座も行かず、引きこもっていたけれど、少しずつ会うようにしていこうと思えるようになってきたし、意欲的に見える人たちがたくさんいて、見るのもツラかったフェイスブックもやっと覗けるようになってきました。
なんでこんな状況になってるのか、イマイチよくわからないし、理解できないんだけど、そういうもんだわ、と思えば、なるようになってることなんだろうと思えるようになってきました。
7月はいい月にできるように、少しだけ頑張ります。たまたま今日、師匠が大阪にいらっしゃるので、会ってきます。たぶん、会うだけで、自分にとっていい影響はあると思うんだ。
人と関わらないようにしてきた半年におさらばしてきます。
人生初。大型地震を経験しました。
大阪市内の北寄りに住んでいるので、先週の大阪府北部地震を経験しました。
あんなに大きな地震に遭遇したのは初めて。
飼いうさちゃんがビックリして、動き回ってしまい、激しい揺れで本棚から飛び出したおびただしい本たちの下に埋もれてしまった瞬間を見た時には、揺れよりも、うさちゃんの命がなくなってしまう!!と、激しい恐怖を覚えました。
うさちゃんを守ろうと右手を伸ばした時、ハズレグセのある右肩を床に強打。激しい揺れの中で右肩脱臼……。
揺れが収まり、慌てて本たちをのけると、うさちゃんが飛び出てきて、命は助かってホッとしたけれど、何せ右腕が動かないし、イタイ……。
それでも慌てて、うさちゃんをキャリーに入れ、外に飛び出し、近所の開いているかもわからないけれど、整骨院へ急行。
開院前でしたが、中に明かりが!!
藁にもすがる思いで扉を叩き、開けていただきました。
右肩を脱臼したからはめてください!!涙
すぐに処置していただき、ホッと一息。
ガチガチに固めていただき、昼過ぎに整形外科を受診し、レントゲンを撮り、骨に異常なしの診断で、またホッと一息。
帰宅すると、うさちゃんの左目から涙が出ている。地震直後は元気にしていたけれど、痛そうに目をつむっている……。
動物病院が開く時間に、急行。
目に傷がついてしまっていました。幸いそれほど深くはなさそうで、またまたホッと一息。お薬をもらって、経過観察と相成りました。
というのが、地震に遭遇したわたしの1日。
ほんと、地震ってコワイですね。東日本大震災のときは、わたしよりもっとコワイ思いをした方も多かったんだろうな。自分が経験しないと、真の恐ろしさはわからない、と実感しました。もちろん、心から心配していたんだけど、やっぱりどこか他人事だったんだなーって。
地震から一週間。
少しずつ落ち着きを取り戻し、うさちゃんの左目からは涙が出てこないようになり、わたしの右肩もずいぶん回復してきました。
思えば、どっかーん!ユッサユッサユッサユッサ。え?え?と思っている間に、いろんなことが起こっていて、自然の圧倒的な力の前では、なすすべが全くないことに気づきました。
そして、日本のマンションの建築技術力の高さに驚きです。他国ならば、崩れてしまうマンションは多そうだし。
お家って、命を守るもの。マンションってすごいなー。これが当たり前って、日本すごい。クールジャパンってマンションのことじゃないか??と真剣に思います。
日本のどこでも地震は起こります。
いつ自分の住む地域に大きな地震が起こってもおかしくないのです。日本に地震について安心な場所はないのです。だから、備える。
備える技術が日本にあることに感謝です。
今回の地震で、惜しくもお亡くなりになられた方々に、心からご冥福をお祈りいたします。
これを教訓に、すべての地域で見直し、改善されることを強く、強く、希望します。失ってしまった命を無駄にしないよう、まだ来ぬ地震に備えてほしいと切に願います。
そして、連絡をくれたお友達や家族に感謝を。ありがとう。わたしは元気です。