あけましておめでとうございます。
みなさま、あけましておめでとうございます。
年末年始感が全くないまま、年越しをしました。こんなに何も感じない年末年始は初めてかもしれません。
とはいえ、やっと今日、今年の目標やらを考え始めました。ダラダラと時間を費やし、やっとこれではあかんのや!と、活動し始めました。
仕事のことやプライベートのことを考えながら、今日という日を過ごしました。
元来内向的なわたしにとって、思考することの楽しさは苦になりません。去年の終わり頃は思考することすら放棄していたので、よっぽど疲れていたのでしょう。
日常から離れ、一人、思考する時間を作ることの大切さが身に沁みます。
今年こそ、心穏やかに過ごせるよう、自己をコントロールしていきたいです。
今年の占いでは、蠍座は12年に一度の幸運期に入っているそうです。種まきの時期なので、幸運をつかみ取れる行動をしていきます。
楽しそうなこと、面白そうなことには敏感に飛びついて、まずやってみて、体験していこうと思います。
本年もどうぞよろしくお願いします。
近所の神社で心を整える
台風が近寄ってきているせいか、風と雨がひどい。遠出はあきらめて、近所の神社へ参拝。初詣以来に訪れました。
近所の神社は、宇賀御魂大神(ウカノミタマノカミ・名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神。性別が明確にわかるような記述はなく、古くから女神とされてきた)別雷大神(ワケイズチノカミ・神名の「ワケ」は「分ける」の意味。「雷を別けるほどの力を持つ神」という意味であり、「雷神」ではない)が祀られています。
そして、気持ちが落ち込んだときや嬉しいことがあったときに撫でるといいという、樹齢1000年のクスノキの一部も祀られています。
さっそく落ち着いて、ゆっくり三回撫でる。
不思議なことに全身の血流がスーっと流れ、癒やされていく感覚がありました。よっぽどわたし、荒んでいるんだわと実感。
本殿でしっかり参拝。その後、おみくじを引こうか迷いました。ここで凶を引いたら立ち直れないと一瞬よぎる。一方、何かヒントがあるかもしれないとも思う。思いきって引いてみる。
大吉!!
神様が応援してくださっているとしか思えません。自分なりに紆余曲折もありながらもがんばっていることを認めてくださったような気持ちになりました。 そして、この言葉たちが胸に刺さる。
後には何も彼も平和に収まります 凡て小さい事も用心してすればよろしい
願望 出来兼ねる様に危惧を覚えるが後調う
今を乗り越えられれば、平和がおとずれる。だから怒ってないで、しっかりしなさいよ。と神様がおっしゃっているのでしょう。
今日、参拝できてよかったです。
参拝後、お休みなのにもかかわらず、会社から電話があり。本当はイラっとせずにすみました、と言いたいところですが、さすがに昨日の今日ではイラっとしてしまいました。よほどわたし、怒ってるなと自分でも思います。
怒りは良い作用を及ぼすことはないですが、こればかりは仕方がない。もう少し時間が必要です。このおみくじの言葉を毎日見返すことで、じっくり今の怒りと向き合っていかないと解決はしないだろうと思います。
しばらくはしんどい日が続くと思うのですが、ぼちぼちやろうと思えた日でした。
とんだ誕生日になってしまったので、明日お寺さんへ行くことにした。
10月はなにかと慌ただしく、仕事が激務で、イライラすることばかり。家に帰れば、ひたすら海外ドラマを見て、1日に溜まったストレスを発散するしかないという日々が続いていた。そしてそれは今も継続中。
そして、誕生日の今日。誕生日休暇をいただいていたが、17時からどうしてもはずせない来客があり、16時ころから出勤。経理を兼務しているわたしは、経理作業をしながら、来客を待っていた。その間、わたしがいるからと誰も電話に出ない。「すまんが、わたしは休日出勤をしている。いないものとして扱ってくれ。やりたい仕事に専念させてくれ」と周りにお願いした。通常、休日出勤している人がいれば、わたしは電話に出させるということをしない。なぜなら休日出勤している人はそれなりの理由があるからである。電話番をするために休日出勤をしているわけではないのだ。少しイラッとする。そして、上司に報告しながら進めていた案件で、上司が「俺知らんしさー」とか「聞いてないしー」とか言いはじめる。わたしが勝手に進めるわけがないので、いついつにメールしているじゃないか、その後も何かと口頭でも言ってるじゃないかと説明する。さらにイライラが募る。加えて、結局来客者は社長との面談後、もう時間がないからと挨拶もなしに帰ってしまった。じゃあ、わたしはなんのために、せっかくのお休みを数時間でも返上してタダ働きのために会社に来たのか。久しぶりに激しく怒りが爆発。来客は百歩譲ってよいとしよう。事情もお有りだ。一方上司はそういうわけにはいかない。上司は困ったときはわたしに頼ってばかりなのに、わたしが大変な思いをしながら話をまとめ、本来なら上司がやればいいことをわたしが代わってやっているというのに、なんなんだ。いい加減にしろ。じゃあわたしに任せないで、勝手にやればいいじゃないか。お前の代わりになぜかわたしがお前の失態を社長に怒られ、謝ることもあるんだ。それなのになんなんだその態度。もう知らん!という激怒である。叫んだ言葉は「なんでやねん!!勝手にしやがれ!もう死にたい!!」であったが……。周りから「いやいや死なないでくださいよ」と笑われた。だけどわたしは真剣である。なぜそこをみなはわからないのか。できそこないの上司に殺意すら覚えた誕生日。とんだ誕生日である。
時間が経過してもなお、まだ怒りが収まらない。上司と社長のポンコツぶりと、なぜこんな会社でサービス残業もして一生懸命仕事をしているのかと情けなくなり、久しぶりに声を出して泣いた。仕事のことで泣くなんて、29歳の時分譲マンションの営業をして以来だ。
一年後の同じ日にこのブログを読んで、「いまだに何も変化なし」とさらに憤るのか、それとも新しい風が吹いていたり何かしらの変化があって「こんな時代もあったよね」と懐かしむことができるのか。それは今後のわたしの行動にかかっている。前向きに生きるために、まず激しく荒みきった心を整えに、明日、お寺さんへお参りしに行くことに決めた。
一年後、わたしは一体何をしているのだろうか。先は見えないけれど、またおいしい誕生日ケーキは食べたいな。