娑婆はそういうものらしい。
そういうものなのか。
娑婆では「そういうものなんだな」と思い、そこに属す。
今日ご住職から聴いた言葉である。
ご無沙汰してます、仏教ねえさんだよ。
この世は、娑婆。
や◯ざものの映画などで、
「娑婆の空気が云々」と言われるようですが、(見たことがないから知らない)
娑婆でも刑務所でも生きづらいことには変わりがないように思うのです。
現状「おかしいな」「合わないな」と感じながら、
某組織に属し、反発心を抱きながら過ごす日々を送っている。
「そういうものなんだなぁ」とほっこりお茶をすすっていられるほど、
始終穏やかにはいられない。
しかしながら、この世はどこまで行っても、
「おかしいな」「合わないな」という感情……というより感覚は続いていく。
おそらく、想像では、誰でも
「おかしいな」「合わないな」と何かしら感じているけれど、
それを口に出すことはしないのではないか。
言葉として発声したとて、自分以外の人間を変えることはできない。
それならば。と、
「そういうものなんだなぁ」としっぽり。とっぽり。受容する。
この「受容」には一つだけポイントがあるように思う。
それは、
自分自身が自立していること。
何があっても動じない強さだったり、しなやかさだったりがあってこその、
受容。
確固たる自分、太い幹たる自分、心の強さを持つ自分。
娑婆の世界は、とかく生きづらい。
生きることをやめてしまいたいと切に願うことだって少なくない。
常に娑婆で魑魅魍魎(大袈裟)に晒されている仏教ねえさんは、
いくら坐っても本当に「そういうものなんだなぁ」と受容できる日が
やってくるとは思えない。
しかしながら、受容できると思わねば、受容できるわけがない。
そうじゃないよなぁと思いながら、
そこに属していくには
「へへっ」と笑うことがよいものなのか。
一つの手段としては有効に思えるが故。
ひとつ、へへっと
「そういうものなんだなぁ」と笑って過ごしてみよう。
仏教ねえさんより。