仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め

仏教について、少しずつお勉強したことを記録していこうと思って始めたブログです。ひよっこコラムニストです。

女3人旅 大三島へ行く

みなさまごきげんよう。 仏教ねえさんだよ。

 

今、旅をしています。

車でしまなみ海道を下り、因島生口島を通った先にある大三島にやってきました。神の島とも言われているそうです。

大三島は、とてものんびりとした時間が流れています。時間に追われるわけでもなく、あせる旅でもありません。のんびりと車でやってきました。

 

まず立ち寄ったのは、ところミュージアム

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ビューポイントでも有名だそうで、とても景色のよい場所です。海と島を眺めながら、現代アートが楽しめます。アートと自然の融合を目指したかのようです。

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作品を写真に収めることはできませんが、景色は収めることができます。

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次に赴いたのは、伊東豊雄建築ミュージアム

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著名な建築家の伊東豊雄さんが、簡単に言うと、大三島に魅せられ建てられたミュージアムです。こちらも建物と自然の調和を考えて設計されていらっしゃるのでしょう。とても美しい景色でした。

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次は、岩田健母と子のミュージアム

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親子の彫刻が、数十点サークルに囲まれた自然の中に展示されていました。今日は天気がよかったですが、雨に濡れた彫刻を見てみたい気持ちになりました。

同じ敷地内に、宗方小学校跡があり、当時の趣を残したままの宿泊施設がありました。

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泊まってみたいです。サイクリストが宿泊することが多いみたいです。

 

まだお宿のチェックインまでには時間があったため、道中で見つけた看板をたよりに、台ダム(うてなダム)へ行ってみることに。

実は仏教ねえさん、ダム、好きなんです。あんまり行ったことはないですが、人工的なコンクリートの建造物の中で、一番興味あります。

治水は、人知を最大限に活かしていると思っています。

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美しい。造形美。

一番テンションが上がりました。今後、ダムを見つけたら絶対行こうと決めました。

ダムは、洪水被害を防ぎ、その周辺の地域に安定してお水を供給しています。ダムに人知れず沈んでしまった村も数多く存在していることは承知しています。母方の祖母の生家もダムに沈んでいます。そのことを考えると少し切ない気持ちにはなりますが、ダムができることで、安定した水源を確保できることは素晴らしいことだと思います。

 

台ダムをあとにして、これまた偶然見かけた滝を見に行きました。

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入日の滝。

滝山寺内にある滝です。滝に近づくと、少し静寂な空気になります。

なんとも気持ちのよい空間でした。

 

宿泊先は、こちら。

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舟盛りも食べました。

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大三島の海鮮料理をたらふくいただいたため、お腹がはち切れそうです。贅沢三昧をさせていただきました。

板長のフルート演奏もあり、板長の芸達者ぶりもここの名物。五感をフルに使って楽しませていただきました。ありがとうございます。

 

さて、そろそろ眠ろうと思います。

女3人旅の一日が終わります。すでに2人は夢の中。1人はイビキに歯ぎしりと、眠っていても騒々しいです。いつもがんばり屋さんのお姉さま。今日一日運転をしてくれました。お疲れ様でした。いい夢見てください。おやすみなさい。

ざわざわした気持ちを写経でさようならした話

みなさまごきげんよう。 仏教ねえさんだよ。

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先月、お寺さんで写経をしてきました。

年が明けて、気持ち新たにしたい気持ちが強くあったからです。

昨年はまったく仏教に触れる余裕がなく、日々の仕事に忙殺される日々。大好きな読書すらできず、うちに帰れば、何も考えずにすむYouTubeでゲーム実況を垂れ流すしかできなかったのです。まあ、お気に入りのゲーム実況者ができたからということもありますが、楽な方へ流されていたのは言うまでもありません。

日々の仕事に心底うんざりしていることもあり、さすがにこのまま社畜のまま人生を終えるつもりはさらさらありません。

だらけた生活を立て直すために、もう少しがんばれと自分を励ますために、写経という手段をとりました。

 

そのお寺さんには初めてうかがいました。

宗派は黄檗宗。仏教ねえさんは曹洞宗ですが、宗派問わず受け入れているお寺さんです。

本堂のある建物は大変新しかったです。静かに玄関を開けると、ご近所のマダムたちが写仏しており、大変楽しそうな雰囲気でした。案内をされながら、室内を眺めると廊下の壁面全体に壁面書棚があり、天井から床までびっしりと書籍が並べられていました。写経が終わったらゆっくり見させてもらおうと思いながら、お写経場の本堂へ向かいました。

 

ご住職のお話を聴きながら、小一時間ほどでお写経を終え、少しスッキリとした気持ちになりながら、書棚を拝見させていたところ、ひょっこり現れた新参者の仏教ねえさんに、まあまあお茶をどうぞとご住職がお声がけくださいました。

先代のご住職は大変熱心に布教活動をされていらっしゃり、そのご遺志を現在のご住職が引き継いでいらっしゃるようでした。

またいらっしゃい。よかったらこれをどうぞと、先代が出版したご本をいただきました。そのご本は、大手本屋さんで見たことがある本でした。ありがたくちょうだいし、今読み進めているところです。

ブッダの教えがわかる本―仏教を学ぶ

ブッダの教えがわかる本―仏教を学ぶ

  • 作者:服部 祖承
  • 発売日: 2006/09/01
  • メディア: 単行本
 

 

写経をして1か月経過しました。少しずつではありますが、生活の立て直しができてきています。やはり写経の効用は仏教ねえさんにはあるようです。

2月7日の坐禅会に行きたかったのですが、所用で行くことができず、残念。

来月の坐禅会か写経会には行こうと考えています。

毎月、お寺さんに通うことで、日々の心の穢れをリセットしたい。

本来なら、毎日家で坐禅をすればよいのでしょうが、現代っ子の仏教ねえさんにはハードルが高いのです。非日常を体験することでしか、リセットできないのが寂しいところです。しかし、何もしないよりは、今できる範囲で無理なく仏教に触れることが大切かなとも思います。

日々に惑わされない日を一日でも設けていくことで、心の安寧を取り戻したいと切実に考えています。

目標には言葉遊びを。

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みなさまごきげんよう。 仏教ねえさんだよ。

 

一年のはじまりに、目標を立てる人は多い。

だが、一年のおわりに、目標を振り返る人は多くはないはずだ。

 

1月に目標を立て、3月くらいに少しできなくなっており、「まあいっか」と目標自体から目をそらつつし、いつしか目標を立てていたことすら忘れていく。

6月くらいに「あ、目標を立てていたかしらね」とほんの少し思い出しはしても特になにもせず、「暑いから何もする気がおきない」と8月をやり過ごす。

12月のはじめに「今年一年もあっという間だったなあ」と思いを馳せるのと同時に、来年のことをふと考えたときに、年始に立てた目標をあらためて思い出す。

そして、目標に対して、「今年もできなかったなー」と清々しいくらいのあきらめとちょっとした後悔がよぎる。

 

いつもこのくりかえしで、まったく情けない限りだ。

目標に向かって何かをすることが大の苦手だと公言しているのと変わらない。目標という言葉を前向きな言葉に感じているため、好みでないと思うことすらある。根本的に、前向きな言葉を嘘くさく感じてしまうのも影響しているのかもしれない。

そのためなのか、「なぜ目標の達成ができないのか」を考えることが多い。目標にまつわる、わたしの考えはこうだ。

 

ひとつめは、

「時間術や自己啓発の本を読んでも無駄」

わたしには、目標を達成するために、時間術や自己啓発の書籍を何十冊と読みまくった時期があった。ところが、本を読んで、これからできるようになるのだ、と心が満足してしまい、実行するという行動に落とし込むことが、なぜかめんどうになってしまっていた。

こんなにだらしない著者でもできるようになった! と著者自身を下げる文章が書いてあることがたまにある。ところが、落とし穴があるのだ。本の著者紹介を読んでみてほしい。たいていが誰もが知っている一流大学出身者が著者なのだ。賢さレベルが3段階あるとすると、1番上の人が書いている。

平凡な中流大学出身者で、賢さレベルはおそらく中程度のわたしよりも、著者のほうがそもそもの行動基準がはるかに高い、という現実を突きつけられたのを思い知らされる。

 

ふたつめは、

「がんばろうと思ったところで無駄」

気持ちだけで乗り切ろうと思った時点で、詰みだ。

はじめの数か月は気持ちだけで、がんばることは可能だ。ただ、人生にはハプニングが大なり小なり存在するものだ。うっかり目標を忘れてしまう日がたびたび訪れてしまう。

2回くらいは、なんとか失念状態から脱出はできるだろう。

ところが、3回目、4回目となってくると、「まあいっか」と少しずつがんばる気持ちは薄れていく。5回目となってくると、失念状態を継続する力が発動する。

忘れるという努力だけは、確実に、あまりに自然にできてしまうものらしい。

人の心は諸行無常が世の常だ。失念状態から毎回はい上がれる人は、そもそも「がんばろう」と思わないものなのだ。わたしは、そこを勘違いしてはならない。

 

みっつめは、

「こつこつ小さな成功体験を積み重ねれば、目標を達成できるなんて嘘」

大きな目標を小さな目標に分割して、ひとつずつ目標を達成していく方法である。この方法自体は素晴らしいと思っている。成功体験を積み上げることで、自分に自信をつけていく。「これができたから、次もできる」という、あまりに前向きな行動指針である。

わたしは何度も挑戦した。

そこをあえて言う。こんな方法は、くそくらえだ。

すみません、汚い言葉ですみません。暴言を吐いてしまった。

小さな目標を達成できるのであれば、とっくに大きな目標を達成できている。積み重ねが大切なのはわかっている。それができないから困っているのだ。所詮、わたしのように小さなことからこつこつとできないタイプには、無理のある話だったのだ。

 

やっと気づいたことは、たったのひとつ。

わたしにとって、どんなに小さくても、目標があること自体がストレスになっていたのだ。

 

ところが、ストレスになろうがなんだろうが、やりたいことをやろうと思ったら、どのように考え行動するかが重要である。

目標がなければ、目指す場所がわからない。

目標という字面や言葉のもつニュアンスがわたしに合わないのではないか。だから、わたしは、目標をこう変換するようにした。

 

「戦略を設定する」

 

人生を自分の納得するものにするため、総合的に準備し、計画し、運用していくために必要なミッションをするのだ。戦略を設定しようと考え始めると、ゲームやパズルのように思えてきて、考えることが楽しくなり、ミッションを完了したくなる。

 

目標という言葉は、とても使いやすい反面、根本的に前向きな言葉に違和感をもっているわたしのような人間には荷が重い言葉だったようだ。

言葉遊びにしか思えなくもないが、人生に遊びは必要だ。

人生をゲームのように考えながら、戦略を設定し、ミッションを完了しようとすると案外、気持ちがラクになる。

 

なんでこんなに目標という言葉に違和感があるのだろうか。不思議である。

歯のトラブルは感謝へつながる

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みなさまごきげんよう。 仏教ねえさんだよ。

 

新年早々さっそく事件が起きた。わたしの歯に一大事だ。

昨年の5月に差し歯が取れてしまい、入れ直してもらった。しばらくすると、この入れ直した差し歯のせいなのかわからないが、噛み合わせが変わってきたようで軽い違和感を感じていた。以前には当たることのなかったところに歯が当たるようになったのだ。

おかしいなあと思ってはいたが、かかりつけの歯科医に聞くと、「よくあることで、差し歯の宿命だ」という。そういうものなのかとそのままにしていた。しかしながら、違和感どおり、わたしの歯は無理していたようで、入れ直した差し歯の隣りの差し歯が、ぽろんと外れてしまった。これが違和感の元凶だったのかと元旦の夜中に気がついた。

なんてこった。元旦の夜に歯磨きしていただけなのに。しかも、なんと間の悪い。年末年始は、かかりつけの歯医者さんはお休みだ。どこに行く予定もないとはいえ、歯がないままでは格好が悪いし、何よりご飯が食べづらい。

すぐさまグーグル先生に大阪市内に救急の歯医者さんはあるのかとたずねると、夜間や休日に対応している休日緊急歯科診療所があると言う。

新年2日目にかける電話が「差し歯が取れたが、なんとかしてくれるのか」というのはなんとも間抜けな話だ。

今日のところは仕方がない。翌朝に問い合わせてみることにして、歯抜けのまま眠った。

翌朝さっそく休日緊急歯科診療所に問い合わせると、処置してくれると言ってくれた。助かる。ささっと身支度をし、思ったより人出がない電車でのんびり向かった。

わたしが到着すると同時に、慌てて駆け込む家族がいた。母親があたふたと受付をし、父親にしっかり抱えられた小さな息子が泣いている。「大丈夫だよ、もうすぐだよ」と息子に声をかける父親。なにがあったのかわからなかったが、歯でも折ってしまったのだろうか。

わたしのほかに患者さんは10名くらいいただろうか。意外に多いなと感じ、年始早々歯のトラブルがある人がいるものなのね。まあ、わたしもそうだけど。

「仏教さん、仏教ねえさん」思いのほか早く名前を呼ばれた。


「歯が取れたのは餅が原因? 」と診察室へ入るなり言われた。

そうではない、前からおかしいとは思っていたが、昨晩歯を磨いてたら取れてしまった。まさか年始早々取れるとは思っていなかったと素直に答えると笑われた。そうだよね、わたしも笑ったもの。なぜ今日なのかと。今日でなくてはいけない理由があったのかと、取れてしまった差し歯に問いただしたい。

 わたしの差し歯をあるべき場所へ落ち着かせてくれた歯科医に、「休日診療に初めてきたけど、こんなに人がいるとは思っていなかった」と話しかけた。すると、「昨日の方が忙しかったよ。昨日だったらもっと待っててもらったと思うから、今日でよかったね」と言われた。

元旦に救急で、歯のトラブルがそこまであるものなのかと正直驚いた。年始早々差し歯が取れるのはわたしくらいなものではないかと思っていたが、まったく違ったらしい。

隣の診察席では、男の子がぎゃーぎゃーと大きな声で泣き始めた。泣き叫ぶ男の子を2人の歯科助手が抑え、歯科医がなだめている。受付時にわたしの前にいた、父親に抱えられていた男の子の処置が始まったのだ。わたしも歯医者は好きじゃないから、気持ちは痛いほどわかる。さぞかし恐ろしかろう。年始早々、歯科医も患者もお互い大変だ。

「正月どころじゃないですね」と言うと、「当番が年に数回回ってくるからね」「ここの先生じゃないんですか」「ぼくは自分の医院持ってるからね。ここに勤めてる人もおるけど」休日緊急歯科診療所は当番の先生が治療にあたっているのか。病院関連の情報には無縁のため、まったく知らなかった。

サイトを調べてみると、大阪府歯科医師会が運営しており、いつの時点の現在なのかわからなかったが、構成している会員の歯科医師は約5,000人いるようだ。大阪府歯科医師会の目的である「府民、市民の歯とお口の健康を守り、歯科医療を通じて社会に貢献すること」に基づき、年末年始にも地域住民のために働いてくれているこの歯科医のおかげで、わたしの差し歯はあるべき場所に1日も放置されず収まった。

病院で治療を受ければ、毎回「ありがとうございます」と挨拶はしているが、改めて、心を込めて丁寧に伝えようと強く思った。
きっかけは差し歯だったが、たかが差し歯、されど差し歯だ。

休日でも気軽に治療が受けられる環境で生活できることを感謝しよう。わたしのように普段何ごともなく健康に過ごしていれば、見過ごしてしまっている人も多いかもしれない。
日々、医療に携わるみなさまへ感謝を伝えたい。

いつもありがとうございます。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。仏教ねえさんだよ。

 

今年の抱負は、仏教のお勉強を再開して、このブログを書き続けていきます。合わせて、物書きのなる準備をコツコツしていきます。

日々の仕事はできるだけ省エネにして、頃合いをみて退職して、物書きと両立できる仕事を探していきます。

 

今日は昼すぎまでコロコロして、お雑煮を食べ、新春のテレビ番組を見ていますが、まだ年が明けた気持ちになっていません。年末もそうだったのですが、まったく年末を感じていなかったのです。

年の節目は事実として存在していますが、わたしの中で昨年の12月11日頃に新しいなにかがうまれていたので、すでに節目は迎えていたようにも思います。

 

なんとか日々の仕事に惑わされないよう、自分のやりたいことをやれる環境作りをしていきたいです。ちょっとずつがんばっていきます。

今年こそ、よろしくお願いいたします。

みなさまにとって、よい一年になりますように。

 

 

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うちのうさこもおめでと言うてます。

 

仏教ねえさんより。