仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め

仏教について、少しずつお勉強したことを記録していこうと思って始めたブログです。ひよっこコラムニストです。

とんだ誕生日になってしまったので、明日お寺さんへ行くことにした。

10月はなにかと慌ただしく、仕事が激務で、イライラすることばかり。家に帰れば、ひたすら海外ドラマを見て、1日に溜まったストレスを発散するしかないという日々が続いていた。そしてそれは今も継続中。

そして、誕生日の今日。誕生日休暇をいただいていたが、17時からどうしてもはずせない来客があり、16時ころから出勤。経理を兼務しているわたしは、経理作業をしながら、来客を待っていた。その間、わたしがいるからと誰も電話に出ない。「すまんが、わたしは休日出勤をしている。いないものとして扱ってくれ。やりたい仕事に専念させてくれ」と周りにお願いした。通常、休日出勤している人がいれば、わたしは電話に出させるということをしない。なぜなら休日出勤している人はそれなりの理由があるからである。電話番をするために休日出勤をしているわけではないのだ。少しイラッとする。そして、上司に報告しながら進めていた案件で、上司が「俺知らんしさー」とか「聞いてないしー」とか言いはじめる。わたしが勝手に進めるわけがないので、いついつにメールしているじゃないか、その後も何かと口頭でも言ってるじゃないかと説明する。さらにイライラが募る。加えて、結局来客者は社長との面談後、もう時間がないからと挨拶もなしに帰ってしまった。じゃあ、わたしはなんのために、せっかくのお休みを数時間でも返上してタダ働きのために会社に来たのか。久しぶりに激しく怒りが爆発。来客は百歩譲ってよいとしよう。事情もお有りだ。一方上司はそういうわけにはいかない。上司は困ったときはわたしに頼ってばかりなのに、わたしが大変な思いをしながら話をまとめ、本来なら上司がやればいいことをわたしが代わってやっているというのに、なんなんだ。いい加減にしろ。じゃあわたしに任せないで、勝手にやればいいじゃないか。お前の代わりになぜかわたしがお前の失態を社長に怒られ、謝ることもあるんだ。それなのになんなんだその態度。もう知らん!という激怒である。叫んだ言葉は「なんでやねん!!勝手にしやがれ!もう死にたい!!」であったが……。周りから「いやいや死なないでくださいよ」と笑われた。だけどわたしは真剣である。なぜそこをみなはわからないのか。できそこないの上司に殺意すら覚えた誕生日。とんだ誕生日である。

時間が経過してもなお、まだ怒りが収まらない。上司と社長のポンコツぶりと、なぜこんな会社でサービス残業もして一生懸命仕事をしているのかと情けなくなり、久しぶりに声を出して泣いた。仕事のことで泣くなんて、29歳の時分譲マンションの営業をして以来だ。

一年後の同じ日にこのブログを読んで、「いまだに何も変化なし」とさらに憤るのか、それとも新しい風が吹いていたり何かしらの変化があって「こんな時代もあったよね」と懐かしむことができるのか。それは今後のわたしの行動にかかっている。前向きに生きるために、まず激しく荒みきった心を整えに、明日、お寺さんへお参りしに行くことに決めた。

一年後、わたしは一体何をしているのだろうか。先は見えないけれど、またおいしい誕生日ケーキは食べたいな。

 

 

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