ブログのタイトルを変更しました
はてなブログに引っ越してきて、そろそろ2年。引越し前のブログの期間を考えると、4年くらいこのタイトルを使ってきました。
仏教のお勉強の記録をしていこうと始めたブログですが、そこそこ雑記がまざっています。「仏教ねえさんの仏教お勉強ブログ」は深く考えずにつけたタイトル。絶対に入れたかったのが 「仏教ねえさん」という言葉だけ。
元来大雑把なわりにへんなところで神経質なわたし。
なぜ「仏教」だけを書こうとしないのか。
仏教の勉強を書こうとしているのに違うことを書いているのっておかしい。
と自分で考え込むこともしばしば。
そうしてやっと「そうだ!ブログのタイトルを変更すればいいじゃん!」と思い至ったわけです。おそい。ということで、ブログのタイトルを変更することにしました。
ゆずれないポイントはたったのふたつ。
ひとつ、「仏教ねえさんの」は絶対はずさない。
ひとつ、少し文学チックな雰囲気を醸しだしたい。
6月7日頃からちまちまと目を引く言葉探しが始まりました。辞典を眺めたり、好きな作家のタイトルを調べたり、所蔵本から手当たり次第に目次を眺めたり。
目に付いた言葉をどんどん書き出す。
ひと通り思い悩んだ結果、
「仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め」に決めました。
灯点し頃とは、日が暮れて、明かりを点しはじめる頃合を意味する言葉。
骨休めとは、休憩。休息。
「ひともしころ」という言葉を読んだとき、こんな情景が目に浮かんだのです。
季節は秋。休日の夕方、少し外出して家に戻ってきたときの誰もいない部屋。
部屋はほの暗いけど外はまだ少し明るい。
明かりをつけようかな、いやまだいいかなぁ、いややっぱりつけようかな、いやまだかなと、スイッチの前でほんの一瞬の間、立ち尽くして迷い、考えているわたしがいる。
日常生活の中で電気を点す、点さないという行動はとてもとても些細なこと。点けたければ点ければいいし、点けたくなければ点けなくていい。どっちでもいい。
これは、思考することにも似ている。思考したければ思考すればいいし、思考したくなければ思考しなくていい。どっちでもいい。
けれど、灯点し頃が少しでも過ぎれば、確実に電気を点ける。つまり思考をする。
この「灯点し頃の骨休め」は、ほんの一瞬でも、ほんのつかの間でも、迷い考えて、次にじっくり考える前にかるくひと休みしようじゃないか。というニュアンスを含められるんじゃないかなと思ったのです。
しかも仏教の勉強や雑記、本の感想でもなんでも書いてもよいタイトル。よかったね!
ということで。
「仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め」をどうぞご贔屓に。
仏教ねえさんより。