仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め

仏教について、少しずつお勉強したことを記録していこうと思って始めたブログです。ひよっこコラムニストです。

新たな発見〜プラユキ師の瞑想会

みなさまごきげんよう。

仏教ねえさんだよ。 

 

気になっていた瞑想会へ。

5月8日、大阪で開催されたプラユキ師の瞑想を学ぶために足を運びました。
タイミングがやっと合いました。
 
f:id:terasophy:20160522183319j:image
 
 
プラユキ師は、タイで出家した日本人僧侶です。
小柄で笑顔が柔和なプラユキ師。
失礼ながら、かわいらしい方だなぁと思いました。
 
仏教ねえさん、上座部仏教の僧侶さまとお会いするのははじめて。
日本の僧侶さまとは醸しだす雰囲気が違いました。
同じ日本人なのに、異国の香り。安らぎを感じます。
 
 

お話を聞いて。

無になることが目的ではない。
自分を見守る。

 このふたつの言葉が印象に残りました。

坐禅も瞑想も、求めるものは同じ。
ただ、その方法が異なっているだけなんだなとふと感じる。
あの方法は違うとか、この方法は間違っているということはナンセンスで。
 
「自分を見守る」という目的は同じ。
どの方法も間違っていないのだな。
その人にとって「最適」な方法で、自分を見守ればいいのだな。
 
そんなことを感じました。
 

瞑想実践。

 
頭のてっぺんから足の先まで、意識をゆーーっくり流す。
この方法は、眠れない夜に寝ながらやっている瞑想。
ああ、この瞑想なのか。
 
プラユキ師の優しい声が、心地良い。
そのせいか、途中で眠ってしまった。
 
眠くならないように気をしっかり持った方がいいのでしょうけれど、
リラックスモードがすごい。
いつも眠れない時にしている瞑想だけに、寝るのも当たり前かも。
体と心はつながっているんだとふんわりと感じる。
 
 

食の瞑想。

 
味わうためではなく、生きるために食すこと。
生きるために食すことを豊かにするために、味覚の追究を行うものなのかもしれない。
美食家は相当の贅沢をしているのかも。
とふと思う。
 
普段の食事は、ながらの食事がほとんど。
食と向かい合う瞑想は、新鮮な驚きがありました。
一人で食事をするときは、意識して行いたい。
 
 

発見。

 
坐禅と瞑想は、あきらかに違う。
行きたいところは同じなのに、そこへ行くまでの道のりがあきらかに異なる。
 
仏教ねえさんが坐禅をする時は、まず、どう坐るかを考えてしまう。
脚が痛くないようにするにはどうしたらいいのかな。
半跏趺坐をしたいな。形から入ってしまうことが多い。
坐ることが安定してから、内面に向かう。
 
瞑想は、無理のない姿勢でのぞむ。
呼吸を数え、少しずつ身体と内面の動きに焦点を当てていく。
 
坐禅も瞑想も、無理のない姿勢で構わない。
坐禅も好きだし、瞑想も好きだと思った。
 
 
 
最後にプラユキ師からお声がけいただきました。
眠くなっちゃいました。とお話したら、
「そうだよねー。眠くなるよねー」と笑い合いました。
とてもよい経験をさせていただいたことに感謝。
 
また6月に神戸で瞑想会があるということなので、
参加させていただくことにしました。
 
楽しみ。
 
仏教ねえさんより。
 
 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ