海外ドラマを通して、「善」とはなにかと考えてみた。
みなさまごきげんよう。
仏教ねえさんだよ。
いよいよ4月になりました。
早いものです。
ギックリ首で散々なスタートですが、時間が治してくれるはず。
仕事もしばらくお休みをいただいております。
パソコンで文字を書くことはかなり肩と首に力が入ります。
書きもののお仕事も〆切までに間に合うのか心配しているところです。
力の入らない方法を探りながら、今、書いています。
パソコンをろくに使うことができないので、
ずっとこれを見ていました。
このドラマのいいところは、はじめと終わりに、
ドラマの内容に合わせて、明言や格言があること。
知っている著名人の言葉が出てくると、少しうれしくなります。
映像に過激なところが多少あり、つい目をそむけるシーンもありますが、
犯罪における心理をドラマ仕立てで知ることができ、
とてもすぐれたドラマだと思っています。
ドラマから「善」を考えてみる
ドラマはあくまで、フィクションです。
もちろん実話に基づいたドラマもありますが、
基本的には人の想像から生まれてきた物語です。
人の持つ想像力に、ドラマを見ると感心してしまいます。
小説もそうですよね。
実話だとしても、完璧な事実ではない。そこにはかならず脚色があるはずです。
人の世界にはさまざまな思考を持つ人がいて、その人の善に基づいて生活しています。
「善」というのはかなり曖昧で、基準が明確ではないと思います。
「道徳=善」とは限りません。
その人にとって、他人を殺害することが「善」になりうる場合があります。
例えば、被害者が加害者を罰するということは、被害者にとって「善」になる。
ということです。
もちろん、反社会性パーソナリティ障害の人もいるので一概には言えません。
平和に今暮らしているけれど、
いつ犯罪被害者や加害者になってもおかしくないんだなぁと。
このドラマを通して、
今自分が置かれている平和のあやふやさや曖昧さを感じるのです。
タイミングよく、FBIが救ってくれるわけではないですから。
(もちろん、ここは日本なので、近所の警察官になりますけれど)
「善」において、考えるヒントになる本はこれ。
この本はなかなか難しく、理解できないところが多かったです。非常に難解。
善が難解なのかもしれません。
ほかの本を読みながら、少しずつ理解できるのかもしれません。
善を理解する素地がまだ仏教ねえさんの中に育まれていない感じです。
「倫理」は「自己」であり続けようとする意志。(p235)
※ここでいう「倫理」は「善」とほぼ同義。
ここまで書いてみたけれど、やはりまだ首や肩がついてきません。
もう少し、時間が必要なもよう。
今回はこれにて。
仏教ねえさんより。