仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め

仏教について、少しずつお勉強したことを記録していこうと思って始めたブログです。ひよっこコラムニストです。

悟るっていったいどういうことなんだろうと考えてみた。

みなさまごきげんよう。

仏教ねえさんだよ。

 

人はよく、「○○って悟ったんだよ」「さとり世代」などと、「悟る」という言葉を気軽に使っている。

そもそも「悟る」という言葉は、はっきりとわかった、会得した。という意味だ。

 

kotobank.jp

 

 

物事がはっきりすっぱりわかっている人なんているのだろうか。

仏教ねえさん、この世の中に悟っている人は一人もいないと思っている。

もちろん、その道のエキスパートであったり、専門家はいる。

それでも、その道の真髄に悟る領域まで近づけたとしても、

きっちりど真ん中、まったく正しいとだれもが思える事柄はないのではないだろうか。

そうでなければ、議論など必要ないはずだ。

 

世の中には必ず、相反するものが存在する。

「これが正解」と思っていても、思いもよらぬ方向から「ちがう」という人は少なからず存在するものだ。

ゆえに「わたしは悟ったんだ」と発することは、はなはだ茶番に過ぎない。

 

悟りは、自分で「悟った」と報告するのではなく、他者が「あの人、悟ってる」と認知することではないか。

本来なら自己の中で完結できればいいのだが、それはただの自己満足にすぎない。

 

人は社会的動物である。

他者とかかわっているからこそ、自分とは何かと考える。

他者がいなければ、自分を考える必要もないし、認識する必要もない。

だからこそ他者へ、悟った!といいたくなるのだろう。

そこが、間違い。

 

いつもお世話になっている天正寺のご住職も、毎回のように坐禅会でためになるお話してくれる。

そして最後に必ず、

「一緒に勉強していきましょう」

という。

この姿勢が、正しくて、悟りに近いということなのではなかろうか。

 

仏教ねえさんより。

 

 

ご住職のご本です。 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ