仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め

仏教について、少しずつお勉強したことを記録していこうと思って始めたブログです。ひよっこコラムニストです。

人生の先輩の友人がこの世からいなくなりました。

いまだに信じられない。

突然、友人がこの世から去った。

名古屋でたびたび参加していた勉強会で知り合った、気のいいおっちゃん。

交通事故。ひき逃げだったようだ。

なんともあっさりといなくなってしまった。

 

今年に入り、4年ぶりくらいにメールをもらっていた。

「今年大阪行くから、その時に久しぶりに会おう」と。

その約束が果たせなかった。

 

たくさん話したことがあるわけでもない。

それでも私が大阪へ行くと決めた時、「大阪はええところやから、がんばれ!」と激励してもらった。

とても優しく、暖かい人だった。

53歳。

若すぎる。

勉強会の中心的な存在で、関西弁を話す愉快で物知りのおっちゃん。

私が知るおっちゃんの情報はこれくらいだ。

それでも、悲しい。悲しい。悲しい。

 

交通事故は、残された方の心の準備がまったくできない。

さっきまで元気でピンピンしていた人がぴたと動かなくなる。

闘病してたんだよ、頑張ったんだよ。という死なら、まだ静かに受け入れられる。

交通事故はダメだ。受け入れられない。

 

死は前触れもなくやってくるものなのだ。

そんなことはわかっている。

人間に死は付き物だ。

そんなこともわかっている。

それでも。

それでも。

やるせないのだ。

 

他人に命を奪われることは、世の中にはあふれている。

それでも。

それでも!

なぜあんないいおっちゃんじゃなければならなかったの??

他にどーしようもない、救いようもない人でよかったんじゃないの?

そんなことを思ってしまう。

 

とても悲しく。

悲しく。

 

悲しい。

 

でもね。

あのおっちゃんなら、自分の命を奪った人を責めないんだ。

これも運命ってすぐ受け入れて、きっと脳天気に笑ってるんだ。

そんな気がする。

 

おっちゃん、安らかに。