仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め

仏教について、少しずつお勉強したことを記録していこうと思って始めたブログです。ひよっこコラムニストです。

12月14日仏教的生活報告~歴史に思いを馳せた日「顔のないヒトラーたち」を観た

 

みなさまごきげんよう。

仏教ねえさんだよ。

 

11月に過労死するかというくらい(大袈裟)働いた。

そのため、12月は代休が2日もある。がんばったから。

仏教ねえさんの勤務する会社は、

11月だけは仏教ねえさんの職務上、一番ハード。

しかも今年はなぜかこの一番忙しい時期に

行きたくもない楽しみにしていた社員旅行に連れて行かれていたため、

ハードさ、さらに倍

ということで休日出勤の振替が14日。

 

会社に行くよりも早起きして、

硬い体をゆっくり動かし、身支度。

 

この日も右首から右肩甲骨までの痛みが引かず。

ずいぶんよくなってきているとはいえ、

「おはよう」よりも「痛い」が第一声。

しかしながら、昨晩のゴッドハンドのおかげか、

前日よりは調子がいい。

 

 

この日は楽しみにしていた、

映画『顔のないヒトラーたち』公式サイト」を観賞しにシネ・リーブル神戸へ。

大阪でも上映していたが、

うっかり見逃してしまってがっかりしていた。

ところが先日、神戸で上映が始まっていることを知った。

出向くことができるのはこの日のみ。

右上半身の痛みとともに、「はぁ、痛い」と嘆きつつおでかけ。

 

 

ドイツの戦後を描いた良質の映画

"戦後20年のドイツ。若き検事がひとりの記者と出会い、

戦時中ナチス党員の犯した残虐な行為を調査を開始、

裁判を起こすために奮闘する。

ニュルンベルク裁判ですでに戦争責任についての制裁は終わっている。

それをどう裁判までこぎつけるのか"

 

検事が真実を知り、真実の恐怖を乗り越え、

みるみる成長していく姿は見応えあり。

 

 

戦争は歴史に醜い影を落とす。

一方、人類の歴史は戦争で作られているとも言えるはずだ。

実際に戦争体験をした人間がこの世から消えたとき、

ただ、過去の人間が起こしたことと、現実味が次第に薄れていくことも

歴史のひとつだろう。

 

日本の戦後を見聞きする機会は、何かと多い。

仏教ねえさんの亡き祖父も、満州で戦った一人だ。

幼い頃、祖父の左わき腹にあった銃痕を見た。

「これが戦争の痕だぞ」

祖父が言った。

幼い仏教ねえさんは、そっと痕をさわった。

いまだに覚えている。

幼心にも衝撃だったのだろう。

 

祖父が何を体験し、何を思い、どう生き抜いたか。

もう知るすべがなくなってしまったが、

祖父と一緒に銃痕を見ていたその風景は、

仏教ねえさんの記憶にとどまり続けるのだ。

仏教ねえさんが生きている限り。

 

そう思いを馳せると、

日本ではおそらく仏教ねえさんの世代が、

戦争を身近で感じられた最後の世代かもしれない。

かも。

 

顔のないヒトラーたち、という題名。

ヒトラーたち」の「たち」がなんとも良い邦題である。

映画を観ると、この邦題の意味が理解できるはずだ。

同じ敗戦国のドイツはどのように戦後を過ごしたのか。

戦後をどう苦悩したのか。どう受け入れたのか。

積極的にその情報に触れようと努力しないと

それを知るすべはほぼないと言ってよいだろう。

 

ぜひ、ご覧くださいませ。

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仏教ねえさんより。