仏教ねえさんの灯点し頃の骨休め

仏教について、少しずつお勉強したことを記録していこうと思って始めたブログです。ひよっこコラムニストです。

12月4日仏教的生活報告

みなさまごきげんよう。

仏教ねえさんだよ。

 

人間は忘却するもの

あんなに瞋さんがしつこかったのに、

 

だんだん瞋さんの存在を忘却していく仏教ねえさん。

 

平常心を保っているわけではなく、

ただ存在を忘れているよう。

 

怒りというものは不思議なもので、

怒りから諦めに変貌していき、

次第にはどうでもよくなるもののよう。

 

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おそらくすべての怒りがそうではないし、

その人の元来の性質によって変質の具合も異なるはず。

 

しかしながら、今回は

『仏教的生活をするぞ!』

という心持で三毒に向き合っているからか、

怒りから諦めへの転換が早まったような感覚。

 

基本的に仏教ねえさんは、

次第になんであんなに怒っていたのかわからなくなってしまいます。

ところが、「仏教ねえさん、めっちゃ怒ってたで」という噂は健在で、

ふわふわとあちこちに顔を出し、

真相を訊ねられた時には、

あー、なんだっけ?・・・・・・あ、そうそう!!

と着火し、瞋さんが登場と相成ります。

 

だから人は怒ると損をするのかもしれない

魑魅魍魎が跋扈するこの世の中では、

怒るという事実が、自分の知らないところで

いろんな人になにかしら怒りの着火をしているのかも。

そしてその怒りは人から人へ、巡りめぐって、

新たな火種として自分に戻ってくるのかも。

 

時には怒ることはあって当然のことであります。

それをどのようにしていくかは、自分次第であります。

この怒りを元に「対象である人」に対する接し方は、

明らかに変貌を遂げるでしょう。

今までとは違う接し方になるのは間違いありません。

そこに変化を及ぼさなければ、

怒りからの学びはないのではないか。

 

そんなことを考えた四日目。

 

仏教ねえさんより。